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経営者ストーリー

すべてが新しいモノづくりのために【株式会社フルハートジャパン】

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人生を変えた、父の会社を継ぐという選択

――國廣社長はいつから会社を継ぐことをイメージされていたのですか

正直なところ、継ぎたいとは思っていませんでした。「町工場なんてイヤだ」と思っていましたし(笑)。先代である父から「継いでほしい」なんて言われたことがありませんでしたから。だから、大学卒業後は、大手アパレルメーカーに就職しました。

なぜ、大きな会社を選んだかというと、やっぱり多くの優秀な人たちと出会う機会が欲しかったからです。そして、そんな人たちと事業を立ち上げたい、という思いがありました。自分で会社を立ち上げた父親の背中を見て育っていますからね。そんな生き方に憧れていたのかもしれません。だから私は、自分の力で自分の会社を創っていく気でいたのです。研修中に母親が訪ねてくるまでは。

「お父さん、やっぱりお前に会社を継いでほしいって」。母からいきなりそう切り出されました。青天の霹靂ですよ。でもこっちは、入社してすぐの3ヵ月の研修期間中の身。加えて、その後の有名百貨店の担当営業という配属まで決まっていましたから。一応、エリートコースだったんですよ。上司に相談したら、「会社というのは、そう簡単に辞められるものじゃないぞ」と怒られましたし(笑)。なので、すぐに辞められない旨を母に伝えて、結局、1年半くらい待ってもらったのかな。その間、アパレルメーカーの仕事をしながら、いろいろ考えました。

父の会社に入るというのは、事業承継も込みの話ですし、いわば永久就職です。自分で新しい事業を立ち上げたいという夢を諦めることでもありました。そのうち、 0を1にしていく起業は非常に困難。同時に、1を2に上げていくのは、二代目にしかできない仕事、と気が付きまして。これもチャンスじゃないかと思えたことで、父の会社への入社を決意したという経緯があります。

――いろいろ葛藤があったんですね。入社されてからのお話をうかがってもよろしいですか?

茨城県にあるグループ会社のハーベストジャパンという会社に入りました。その頃、ウチには営業担当がいなかったんです。だから初の営業職としての入社ですね(笑)。その前にいたのがしっかりした大手企業ですから、ギャップは大きかったです。売上管理表がない、営業目標がない、戦略もありませんでした。着地したところが結果、といった状況だったんですね。

当時、23歳の若造でしたけど、「このままじゃ会社は成長しない!なんとかしないと!」という思いが溢れました。自分で売上表を作って、自分で納期管理表を作って、とにかく忙しかったですね。毎日夜中まで働いていました。でも、手をかけた分だけ会社が良くなっていくのが分かりましたから、楽しかったですよ。3年くらいハーベストジャパンにいて、「そろそろ本社に」って話になりました。

でも、自分としては社会人経験が乏しいことを問題と思っていて。ワンクッション置いて何か経験を積もうという話になったとき、選択肢の1つに海外留学があって、アメリカに行くことになりました。向こうの大学で起業家プログラムを勉強して、向こうの会社で働く機会を得て、貴重な経験を積むことができました。気がついたら4年くらい経っていたんですけどね(笑)。それで、フルハートジャパンに入社します。

みんな、歓迎ムードで迎えてくれました。当時のフルハートジャパンは古い体質からなる問題点が社内に点在していて、「このままじゃいけない!」と思っていると若いメンバーたちがいて、その人たちと協力して改善に取り組みました。また、生産管理システムを導入するために、自治体から2000万~3000万円といった補助金を受けることにも成功。フルハートジャパンに新しい風を入れたというか、これまでにない改善を実現させることができました。この実績によって、一気に事業承継の話が進むことになり、2009年1月より社長になったという経緯です。

――実際、社長になってみて、いかがでしたか?

嬉しさとか実感とかよりも前に、さまざまな問題点が見えてきたというのが本音のところですね。

社長になるまで、私は会社の借金がどれくらいあるか把握していませんでした。父を支えてくれていた幹部の方たちにどういう株の分配がされていたかも。60名くらいの会社なのに、職位が一般社員、リーダー、主任、係長、課長代理、課長、次長、部長、常務、専務、社長と11階級あったり。いろいろ問題点がありました。そこにリーマンショックです。私が社長になってすぐ売上が30%減、翌年さらに30%減で、13億円あった売上がたった2年で7億円に。そのような中で、社員を1人も切ることなく、どう維持していくか。もういろいろ無駄を削って、組織を変えていくしかありませんでした。

ここでわざわざ語るような話ではないこともいろいろあったんです。お金が関わることで人間関係がこじれたり、問題が複雑になることってあるんですよね。社長は、そういった問題と向き合って、断固たる意志を持って決断をしていかなければなりません。あの時の判断は正しかったのか、今でも悩む問題もあります。

自分の経験を踏まえて学んだことは、「事業承継とは思いだけでは上手くいかない」ということです。ヒト・モノ・カネの三大リソースのすべてを考えて、進めていかなければならないということ。モノについては今までの人たちがいれば、作っていくことができます。ヒト・カネについては、ちゃんとやっていかないとトラブルを生む。だから、私が次の代に事業承継するときに揉め事になるのは嫌なので、株は100%私が持って、資金も余裕ができるように貯めておきたいと考えています。


組織も制度もガラリと変えて、それでもフルハートジャパンが成り立っているのは、私がリーダーとして引っ張ってきたというより、社員のみんなが私に協力してくれたからですね。みんなには本当に感謝しています。感謝はしているんですけれども、みんなには期待している分、要望度が高いので、「もっとこうなって欲しい」という思いはあります。具体的には、社内におけるモノづくりの一体感をもっと高めていきたいですね。

例えば、納品で問題点があったとき。「不良の原因は製造部門にありました」で終わってしまっています。しかし、もしかしたら部品がもっと早く入っていればミスは起きなかったかもしれません。営業が図面をもっと見やすいようにと交渉してくれれば良かったかも。各部門で他部門に対して思いがあるものの言えないでいる。今はそんな状況です。

いいモノを作っていくという共通の目標をもって、もっと意見を言い合える組織になれれば、私たちはモノづくり企業としてもう1つ上のステージに上がれるのではないかと思っています。

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