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経営者ストーリー

子どもからお年寄りまでみんなを笑顔にします【株式会社マルサ斉藤ゴム】

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ものづくりが好きな少年はやがて…

――お話をうかがっていると、斉藤社長は「ものづくりが本当にお好きなんだな」と感じます。そんな斉藤社長はどんなお子様だったのでしょうか。子どもの頃のお話をおうかがいしたいのですが…

1975年生まれで、今年44歳になりました。子どもの頃は、女の子に間違えられるような子でした。でも、幼稚園の頃からものづくりが大好きで、ダンボールで結構凝った象さんとか作っていましたね。家の教育方針がちょっと変わっていて、「家にある押入れ一間を好きにしていいよ」って言われていました。いっぱい落書きしたし、物を貼り付けたり、そういったことを許してくれる家庭だったんですよ。

中学生の進路選択のとき、父の会社を継ぐというよりも「ものづくりに関わる仕事に就きたい」という思いから、工学部がある大学の付属校に進もうと考えました。無事、受験は合格するのですが、 高校在学中にロボット研究に興味を持ち、外部の大学を受験して入学します。ところが、そこでものづくりに関わる勉強よりも、もっと熱中するものに出会ってしまうんですね。それが、タイという国でした。

父と父の事業パートナーだった方の海外出張についていく形でタイに行ったのですが、そこで生命力溢れるタイという国の魅力に取り憑かれてしまいました。それだけでなく、父の事業パートナーである方の、海外を舞台にビジネスを展開させている生き方に感銘を受けてしまって。ものづくりそのものよりも、ものづくりに関わるビジネスに興味が移行したのかもしれません。結果、私は大学卒業後、父の事業パートナーの方に教えを請うため、その方の会社に入社することにしました。

3年弱働いてマルサ斉藤ゴムに入社して間もなく、その会社が倒産してしまうんですけどね。入社後の私の仕事は、伝票発行の電子化、輸入業務、海外工場の生産管理、商品企画など、父がこれまでやってこなかった仕事を私が担当することに。いずれもやったことがない仕事ばかりでしたが、自分なりにやって、なんとかしていきました。父からは漠然と「お前が40歳になったら引き継ぐ」と聞かされていたので、特に経営に関わることなく月日が流れていったのですが、34歳の時、父が脳梗塞で倒れます。父が言葉を話せなくなってしまい、何も分からないまま、会社を継ぐことになってしまったんです。

皮肉なことに、小さい頃からものづくりが好きで、ものづくりに関わる仕事に就いたにも関わらず、会社経営という重責を背負い、ものづくりを楽しめない環境に置かれてしまったのです。経営理念が生まれるキッカケともいえる「ふうせんバレーボール」と出あうまで、本当に辛かったですね。
 

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