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世界の高みに向かって、全力で走り続ける町工場【有限会社精工パッキング】

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有限会社精工パッキング
代表取締役 平井 秀明 氏のインタビュー

1961年に葛飾区高砂に創業し、これまで50年以上に渡り、あらゆる型抜き加工技術の研究と開発を続けてきた有限会社精工パッキング。目指しているのは、出来ないを出来るに変えるモノづくり。見据えているのは、世界で通用するモノづくり。そこには、会社を継承した三代目社長 平井 秀明 氏の熱い思いがありました。
 

55年以上の歴史を持つ、葛飾区の平板打ち抜き加工の老舗

――はじめに、有限会社精工パッキングという会社について、何をやっている会社なのか、自社紹介をお願いします

はじめまして、有限会社精工パッキング 代表取締役社長の平井秀明と申します。精工パッキングは、東京都葛飾区で55年以上の歴史を持つ平板打ち抜き加工の老舗町工場です。「平板打ち抜き加工」とは聞きなれない言葉だと思うのですが、「製作した刃型を用いて加工材の形状を打ち抜く」技術であり、同社では古くからある「ビクトリア型」と言われる型抜き手法を得意としています。

平板打ち抜き加工は、紙、ゴム、樹脂、シリコンなど幅広い素材への加工が可能です。カメラや家電の内部部品や医療用品などの精密な部品製造において弊社は豊富な実績があり、多様な分野でお客様の期待にお応えしてきました。金型を必要とする成形加工に比べると、より精密な加工ができる上、製造コストや修理コストを比較的低く抑え、小ロット生産に対応できることが大きな特徴です。

平板打ち抜き加工の中でも、弊社は「ビクトリア型」といわれるビクトリア刃(トムソン刃)と呼ばれる刃が埋め込まれた刃型を用いる加工を得意としています。これは、印刷に使用されていたビクトリア型活版印刷機を打ち抜き機に改造して型抜きをしていた時代の名残りであり、現在でも同種の機械で加工することを「ビク抜き」と呼びます。先代である会長の平井康夫はビクトリア型打ち抜き加工の第一人者と呼ばれており、2017年3 月には東京都葛飾区から平成28年度の優良技能士の表彰を受けました。

私が三代目として就任したのが2015年です。それまでは完全な下請けのような状態だったのですが、最近では商社、医療、家電メーカーとさまざまなお客様から直接お声がけいただくことも増えてきたという感じです。

 

――御社には半世紀以上の歴史がありますよね。その歴史の変遷を教えていただいてもよろしいですか?

前身となる会社がありました。平井美術印刷といって、美術印刷というインクをのせたくない白地の部分を彫り込んで、印鑑やスタンプのように凸部にインクをのせるという印刷技法を得意としていた会社です。これは、デザイナーである私の祖父がはじめたものらしいです。しかし、これが高いデザインセンスが求められる仕事だったため、祖父が亡くなったあと、事業内容をそのまま受け継げる人がいませんでした。それで、平井美術印刷は幕を閉じることになります。

その後、「加工過程である抜き打ちだけで仕事ができないか?」と祖父の子である叔父と父の2人が模索した結果、ビクトリア型活版印刷機を打ち抜き機に改造し、今の平板打ち抜き加工を行なうことになりました。これが1961年のことですね。叔父と父の兄弟ではじめて、叔父が社長、父が専務というカタチで、1971年に精工パッキングという会社が本格的にスタートしたと聞いています。

1989年に工場を建て替えます。これは、私を後継者として迎え入れることを考えて、これから新しい社員も入れていくことを考え、「汚い工場のままじゃいかんだろう」という話になったからだとか。その3年後、私が跡取りとして入社することになります。
 

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