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経営者ストーリー

自ら生活を彩る文化をシールで広める【株式会社 扶桑】

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長年の経験で培われた技術とプライド

― 次に、富田様ご自身のこともお聞かせください。扶桑にはどのような経緯で入社されたのでしょうか。

大学に進学するよりも働いて自分でお金を稼ぎたいという思いから、商業高校を卒業してすぐに父の会社で働き始めました。入社した当初は印刷機を動かすオペレーターや営業マンのサポートをする仕事を担当。しかし、その当時に発生したリーマンショックの影響で、ある時から仕事がパッタリと止まってしまったんです。

現実的に考えて、このまま扶桑の中で仕事を続けていても、自分が30歳になる時に会社が存続しているイメージを持つことができませんでした。正直に言って、会社に未来を感じることができなかったんですね。それが大きなきっかけとなり、19歳の時に社長に辞めさせてほしいと申し出て、一度外に出させてもらうことになりました。

リーマンショック直後の就職難の時期だったため、手に職をつけようと簿記の専門学校に通い、卒業後に建設コンサルティングの会社に就職。研修を受けた後、営業職として新潟で働くことになりました。その会社では、主に地方行政の営業を担当させていただき、仕事の面白さから悔しさまで多くのことを学ばせていただきましたね。

転機になったのは25歳の時、お盆休みで実家に帰省した際に社長である父から呼ばれ「会社を畳もうと思う」と話を切り出されたこと。短い期間ですが一緒に働いていたこともあったため「やっぱりそうか」と思う一方で、私が小さい頃から働いてくれている従業員の方々や自分の家族のことを思うと、家業がなくなることを受け止められない自分がいました。

帰省していた間は答えを出せずにいたものの、新潟に戻る新幹線の中で「自分に何かできることはないか」とずっと考え続けていました。今考えると、そういう気持ちが芽生えた時点で、家業に戻る決意はできていたように思います。新潟に戻ってすぐに勤めていた会社に退職を申し出て、その年の12月から扶桑に戻ってくることになりました。

― 扶桑に戻られてからの取り組みを教えてください

2014年に会社に戻ってきて、まず感じたのは社内の雰囲気がすごく暗くなっていたこと。財務状況も芳しくなく新しい取り組みもしていなかったので、明るい話題が全くなかったんです。当初は経理として決算書の洗い直しや情報整理をしていましたが、三ヶ月で会社の状況を把握し、会社を存続させるためにはなにより売上げを作ることが急務だと考えるようになりました。

それと同時に思ったのは、ウチの会社は周りに負けない素晴らしい技術を持っていること、そして技術を活かして新しいことに挑戦していく姿勢を社内外に向けて発信していかなければいけないということ。手始めに「葛飾ブランド」など行政の地域ブランド発信事業に自社の技術を持ち込み、行政からの認定を受けるところから取り組みました。

また、それまでは既存のお客様を回るルート営業しかやってきておらず、外部の会社や人と触れ合う機会が非常に少なかったことも課題でした。新規のお客様を獲得するために、展示会への出展も積極的に取り組むように。いきなり自社商品を開発して販売するのは無理だと分かっていたので、まずはBtoBの新規受注を増やすことをテーマに活動していきました。

初めてのことばかりで展示会に出展するには苦労したこともありましたが、扶桑の技術をご紹介させていただくと業界の方々に非常に驚いていただけることが分かったんです。社外の方々から評価していただけたことで、自分たちの技術力に対する自信も高まり、社内の雰囲気は徐々に明るくなっていったように思います。

そういった地道な取り組みを続けBtoBの新規顧客も増やしていきながら、ビジネスコンテストにも挑戦することでirodoという自社商品を開発することができるようになりました。やはり、株式会社扶桑の名前で商品を出すことで、責任が伴う反面、誇らしい部分でもあるんですね。誇りを持って仕事に取り組むベースができあがってきていることを実感しています。

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