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経営者ストーリー

本当にお客様のことを考えて“通わせない整体”を【無痛整体 鍼灸治療院 樹庵】

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仕事において大切にしていること

――スクールのお話をうかがっていると、剣持院長の「すべてにおいて誠実であろう」といった姿勢や信念が感じられます

それは父の影響ですね。自分の中で理念のように息づいています。父は、人を騙すとか、小細工を弄するとか大嫌いな人でした。筋の通らないことが本当に嫌いで、お客様に対して誠実な仕事をすることを貫いている人ですね。僕もそうありたいと思っています。

商売という面でみれば、頻繁に通ってくれる患者様が多いほうが経営は安定するんです。でも、それは間違っていると思っていて。セルフケアの方法を教えて、患者様を通わせません。だって、それで充分なんですから。もちろん、「通いたい」という方は通っていただいていいのですが、「自分でケアしたい」という人にも世の中にはいるわけです。怖がらせて回数券を買わせて囲い込んだりせず、選択肢を出して適したアドバイスを行なう。それが患者様への誠実な接し方だと考えています。

それに、セルフケアできる人が通わなくなれば、本当に痛くて困っている人に予約枠を使ってもらえるじゃないですか。地域に根ざした治療院のあるべき姿とは、1人でも多くの地域の人たちの役に立つ、こういうことなんじゃないかと思っています。これが、父の背中を見て、恩師から教わってきた事を踏まえて、僕が行き着いた“理念”のようなものですね。
 

――「お父様の背中を見てきて…」というお話がありましたが、剣持さんはどのような生い立ちを送られてきたのですか

明るい子供でしたね。僕は小さいころから身体が大きかったこともあり、柔道をずっとやっていました。父はいつも楽しそうに仕事をしていましたね。僕も中学や高校になると試合で身体を痛めることが増えてきて、鍼や整体のお世話になることも多かったので、「人の役に立ついい技術なんだな」って思いをずっと持っていました。父は、嘘をつかない、誠実さを貫いている人で、その姿を僕はカッコイイと感じていたと思います。

だから、父の跡を継ぐ、同じ道を進む、ということに何の抵抗もなかったですね。小学校の時の「将来のなりたい仕事」というテーマの文集に「治療家になりたい」と書いていたくらいですから。

僕は高校まで普通に進みまして、その後、鍼灸師資格の勉強をするために鍼灸専門学校に通いました。資格取得後、「すぐに父の手伝いをするのもなぁ…」と思っていたところ、先生から「東京にある知り合いの鍼灸院がある」と聞きまして。僕自身、「学んできた鍼灸がどこまで通用するか、ウデを試したい」という思いもあって。現場経験を積むために新潟から東京に行こうと決めました。当時付き合っていた彼女も「付いていく」と言ってくれたので、2人で上京&結婚することになったんです。

就職したのは、東京都目黒区の大岡山にある治療院です。そこの先生を師事して、ゆっくり知識と経験を積んでいこうと考えていました。1年間は基礎勉強期間だったのですが、僕の施術の現場経験が増えてきたところで、先生がヘルニアで倒れてしまうという事態に。日中に鍼灸を担当できるスタッフが僕しかいなかったため、強制的に施術を担当する件数が増えることになり、早いペースでスキルアップをすることができました。3年くらい経った頃、妻が妊娠しまして。その頃にはスタッフも充実しておりましたので、いいタイミングと思い、新潟に帰ることにしたのです。

その後、自分の鍼灸院・整体院をやりたかったので開業。広告宣伝もまだまだでオープンしたばかりの治療院にはそんなにお客様は来ませんから、兄や父の整体院の手伝いをしながら、整体スクール講師の資格を取得し、講師としての経験を積んでいった…という流れです。
 

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